97.享保の大飢饉
97.1.享保の時代
米将軍とよばれた徳川吉宗(32歳)が紀州から入って第8代将軍職をついだのは享保元年(1716年)のことだった。
<徳川吉宗>

当時は、国内が深刻な不況にみまわれて幕府財政もゆきづまり、旗本、御家人に支払う給米にもこと欠くというドン底の年であった。
その上物価は高騰し、生活は苦しく国民は塗炭の苦しみに喘いでいた。
将軍となった吉宗にとって、早急の解決を迫られた、容易ならぬ問題であった。
そして、綱吉以来の側用人政治により政治の中枢から閉め出しを食って来た譜代門関層の不平不満が昂じており、爆発寸前であった。
いわゆる享保の改革は、これらの解決をはかることであった。
将軍に就任すると、第6代将軍・徳川家宣の代からの側用人間部詮房や新井白石を罷免したが、新たに御側御用取次という側用人に近い役職を設け、事実上の側用人政治を継続している。
享保の改革は、江戸幕府の財政再建を目的とした一連の改革である。
主な内容は、年貢収入を増やすための「上米の制」や「定免法」の採用、幕府の支出を抑えるための「相対済し令」、そして幕府の財政を健全化するための貨幣改鋳などである。
- 上米の制:大名に領地の石高に応じて米を献上させ、その代わりに参勤交代の期間を短縮した。
- 定免法の採用:検見法に代わり、一定期間の年貢率を固定することで、米の収穫量に左右されず安定した収入を確保した。
- 相対済し令:金銭の貸し借りの裁判を減らすため、当事者間の話し合いによる解決を優先させた。
- 貨幣の改鋳:流通している貨幣を回収し、金の含有量を減らすなどして新たな貨幣を鋳造し、再流通させること。目的には、傷んだ貨幣の交換、幕府の財政難を補うための「改鋳益金」の獲得、経済規模の拡大に対応した貨幣量の調整などがある。改鋳によって物価の高騰が起こることもある。
吉宗は当初、倹約による財政緊縮を重視した ため、幕府はもとより諸大名も財政支出の削減という強力なデフレ政策を実行した。
その結果、 江戸の経済は深刻な打撃を受け、街は火が消え たようになったといわれている。
物価も下落傾向をたどったが、「諸色高の米価安」と称され るように、物価が高騰しているなか米価の下落が著しかった。 年貢米の売却で生計を立てていた武士階級の場合、米価安は直ちに所得の低下を意味したため、 米価の独歩安は彼らの生活を圧迫した。
「諸色高の米価安」
「諸色高の米価安」とは、米以外の物価が高騰している一方で、米の値段が安い状態を指す江戸時代の経済状況である。
これは、農業生産力の向上による米の供給過剰と、武士の俸給が米で支給される「石高制」への依存が原因で、武士の収入減と支出増を招き、幕府財政を圧迫する要因となった。
吉宗は、米価の引き上げを狙いとして商人に米の買い上げを強制するなど、 各種の米価対策を講じた。
しかし、米の増産率が人口増加率を上回るという需給状況もあって、 期待した効果はもたらされなかった。
そこで、金銀貨の改鋳による通貨量の拡大を図ったのである。
吉宗は、元文元年(1736年) 改鋳を決断した。
既述したように、この享保の大飢饉を予見させる様な事件が起こっている。
享保6年から8年にかけての「春定用捨訴願騒動」、享保10年の「敬川のお鶴」である。
そして、ついに享保16年に大飢饉が発生する。
97.2.享保の大飢饉
享保の大飢饉(1732年)において、石見国では西日本一帯でのウンカ(害虫)による稲の壊滅的な被害を受け、甚大な被害を被った。
被害の概要
発生原因: 享保17年(1732年)は冷夏や干ばつなどの悪天候に加え、西日本一帯で稲の害虫であるウンカが大発生したことにより、米の生育が不良となり、壊滅的な凶作となった。
全国の被害: 幕府が把握していたデータによると、全国で約1万2000人の餓死者、200万人以上が飢餓に苦しんだと言われているが、実際にはさらに多かったと推測されている。
石見の特徴: 石見を含む西日本の多くの藩(46藩に及ぶ)では、平年の収穫量の半分以下、甚だしいところでは2割以下の収穫しか得られなかったという。
享保の大飢饉 桜江町江尾村の当時の状況(江尾村・長谷川嘉兵次・諸事覚書より)
(享保十七年)四月、五月はさいさい雨降り、五月二十八日より日照りになり、六月中雨降り申さず候大分日焼けなす。
麦作ことの外悪く十三、十四日より稲少しづつ赤くなり、虫諸作につき申すもの叢雲の如く稲等実見せ申さず候て七月十八、九日までに大分稲は莚(むしろ)生えたる如く中稲迄なり、扠(さ)て晩稲は穂に出で申さずそのまま秋のちがやの如く赤くなり村里により中稲は種もあり晩稲には少しも種無之候笹の実大分なり惣じて山筋三里四方程の間なり、但し実は唐黍にも似たり九月より処々蕨、いのこ掘り申より不限候、右様子公方様御被為及聞西方方肌人為御尼抱御米大分御回舟被為成百日の外に地方より願次第に御貸被為成候
・・・御米丹後米にて米出来も拵もよく計欠も無之然共願書書出申す村は半分方に而候
・・・十月頃より処々飢死村大分なり然る処七月九日より十月霜月、日悪敷久久雨降り其上霜月十五日より大雪ニ而猶以いたみ申候由・・・浜田にては御参勤年彼是に付冬春御尼抱も不相成、御領方他国より余分に飢死人有之然所に明丑(十八年)六月江戸家老岡田本馬様御下向、御見あけとして弐千石被遺諸人祝申ものに候、且又、此の丑の麦作殊の外悪敷候・・・此年麻不出来なり、殊の外、ほうじょう虫付候 麻によらず諸作へ付申 今年迄五年ほうじょう春秋わき中候
(江尾村・長谷川嘉兵次・諸事覚書)
97.3.徳川実紀
以下「徳川実紀」より、享保大飢饉に関する記事の一部を抜粋して記す。
⑴享保17年12月29日
(賑救飢民)
此月留守居作事小普請奉行に令せらるゝしは。今年西國中國邊の田畝蝗災にかゝりし公料の農民等には食糧を賜ひ。私領には金恩貸ありしにより官費尤も多し。よて(よって)来年は営築并に修理くはふる事停廢せらるべし。さりがたきは撿點のうへ命ずべければ。かねて其旨心得べしとなり。
(今月、留守居・作事・小普請を兼任する奉行に、今年西国、中国辺の田畑の蝗の被害救済に官費が大量に使われたため、来年は建物の新築や修理を中止するよう命じられた。どうしても必要な場合は、役人の検査の上で許可する。)
(令諸大名賑救飢民)
又西國四國中國邊の諸大名に令せらるゝは。領内蝗災にかゝり。農民等飢餓にも及ぶべきやは御沙汰に及ばれき。凶年の備へは。國主領主かねて心得べきは勿論なり。されど今年の災は。ことに夥しきこと故。地頭の力にも及びがたきよし聞ゆ。よて農商の中たりとも。分限に應じて賑救うし。來春麥熟(むぎうらし:麦がうれ、刈入れを待つ頃の余暇)迄の中うへに及ばざるやう心いるべし。
(西国、四国、中国地方の諸大名へ。領内で蝗害が発生し、農民が飢餓に陥る恐れがある。対策を講じよ。国主や領主は平素から凶作に備えるべきだが、今年の災害は甚大で、領主個人の力だけでは対処できない。農民や商人も、財産や能力に応じて被災者の救済に協力せよ。)
この旨領主地頭をはじめ。土人まで相互に心を用ひ。飢民をやしなはゞ。餓死のもの多かるべからず。もし飢民多からんには。其地方の罪たるべきにより。いづれも怠りなく命ずべけれど。猶つばらなる(詳しい)事は。勘定奉行より達すべければ。其旨心得べしとなり。又同じ事により。大阪より官廩(かんりん:官の米倉)の米を其國々へつかはされ賣拂はしめ。かつ金をも恩貸せられば。米は領主より買もとめ。飢民等に頒布すべし。災にかゝりし各國につかはさゝ賑救の米額。國主地頭のはからひならずしては事調ふべからず。
(領主、地頭、そして土地の人々は、互いに協力して飢えた民衆を養い、餓死者を減らすべきである。飢饉が深刻な場合は、その地方の責任(罪)となるため、救済を徹底する。勘定奉行から詳細な指示が下されるので、それを確認する。
大坂から官の米蔵の米を各国の国主や地頭に送り、売り払わせる。また、資金も恩貸し(無利子貸付または下付)されるので、その金で米を領主の側で買い求め、飢えた民衆に分配する。
災害に見舞われた各国への賑恤(しんじゅつ:飢饉の際の救済)の米の量は、国主や地頭の采配が必要である。)
そのゆへは。公料の地は食糧の額代官等査撿し。日數多少に應じて差あり。されば私領も領主より米買とり。飢民の数にしたがひはからはずしては。衆民に普くおよぶべしともおぼえず。もし官のはからひのみに打任せば。賑救の詮あるべがらず。
(幕府直轄領では、代官が食糧の量を調査し、飢餓状態の日数に応じて支給量を調整している。私領でも、領主が自ら米を買い上げ、飢えている人数に応じて対処しなければ、救済は全領民に行き渡らない。官の対応だけに任せきりでは、適切な賑恤の効果は得られない。)
來秋収納以後に至り。拂米の價納ん事をこふよし聞ゆ。是は飢民等がみづから買求むる事のやうに心得しと見えたり。極貧ものいか程日をふるとも。己が力にてはもとめがたかるべし。またみだりにたやすく買得んには。食糧乏しからぬものも買とり。かへりて飢民の手に落べからず。
(来秋の収納以降、払米の代価を納めるよう求めるという話がある。これは、飢民が自ら米を買えると誤解しているようだ。極貧者は、いくら頑張っても米を手に入れることはできない。また、領主が簡単に米を買えるようにすれば、食糧に困っていない者が買い占め、飢民の手には渡らないだろう。)
領民は領主のはからひによて。凶年賑救すべき事は勿論なり。されば今年の事は。國中普く災にかゝりたれば。たとひ金銀の心がまへしたらんにも。隣國ともに米不足なれば。官より其地に米つかはされ。そがうへにも領主に金を恩貸せられ。百日を限り米價上納すべしと仰出されば。此うへは領主のはからひのまゝなれば。來春成熟までの中。飢民多からざるやら心いるべしとなり。
(領主は凶年の領民を救済すべきだ。今年の凶作は全国に広がり、隣国も米不足で米の入手は難しい。幕府は被災地に米を供給し、領主に金を貸した。領主は百日以内に返済しなければならない。幕府の支援により、来春の収穫期までに飢える民が減ることが期待されている。)
(蝗災地高札)
又同じ事により。蝗災にかゝりし國々に高札を建らる。其文にいふ。今年五畿内。四國。中國等に至るまで。蝗災により。公料の農民等には糧米恩貸せられたり。とりつゞきがたきものあるべければ。其地にも米穀金銀等貯ふものは。力に應じて合力し。あるは貸與ふべし。はた米穀金銀はたくはへずとも。並々に生産たつるものは。飢民同様に食物省略し。その餘をもて飢民に施し。あるは貸して。餓死の者すくなきやう扶助すべし。同國たりとも。其所により災にかゝらず。村民糧米乏しからずとも。かゝらんときは。里正(庄屋、村長)等より賎民に至る迄。飢民とおなじく食物省略し。あまりあらば近郷の飢民に恩施し。あるは貸しあたへ。猶餘りあらば貯蓄せず賣出すべし。今年幸に災をまぬがれしとて。近隣の難困を見ながら。常のをことく省略もせざらんは。冥理のおそれもあるべし。年により豊凶ある事なれば。もし己が郷里災にかゝらんときは。他村の合力を受飢をしのぐべし。こたび他を疎略になさば。こなた災にかゝりしとき。他も又をろそかにすべし。大凶の年は國々互に相保ざれば。とりつゞきなりがたき故。この旨よく心し里正等指揮し。郷中にていさゝかづゞも財をあつめ。飢餓せる村人に合力し。又は貸し興ふべし。朝夕の食糧さへかくなさんには。まして酒餅麺類等の費あるべからず。すべて物をしめ質かたく停禁たるべし。この旨各村に命じ。賑救せしものあらば。里正等おこたりなく査撿し。代官并に所属のもとに。其姓名申出すべしとなり。又市井に令せらるゝは。府より上方へ運米の事。今よりのち町奉行に断り。浦賀奉行の證状もて通船せしむべしとなり。
(蝗災で困窮する人々への支援を促す。米や金銭を蓄えている者は困窮者に分け与え、余剰分は市場で流通させるよう呼びかけている。また、豊作でも近隣の困窮者を助けるよう、相互扶助の重要性を説いている。内容は次のとおり。
- 蝗災にあった国々では、領主が年貢を納めている農民に食糧用の米を貸し与えた。領地が取り継ぎしにくいものにならないよう、それぞれの土地にも米穀や金銀などを貯蔵している人は、力に応じて困窮者に協力・援助したり、貸し与えたりすべきである。
- 自分の土地に米や金銭を蓄えている人は、力に応じて困っている人々に分け与えたり、貸し与えたりせよ。米や金銭を蓄えていない人も、並程度の生産や生活を営んでいる人は、飢えている人々と同じように食事を質素にして、余った分を飢民に施したり、貸したりして、餓死する者が少なくなるように助け合おう。
- 同じ国(地域)内でも、場所によっては災害に見舞われず、村民の食糧が不足しないことがある。そのような時は、里正のような指導的立場の人から身分の低い民衆に至るまで、皆が飢えている人と同じように食物を節約しよう。
- 余剰の食糧があれば、近隣の飢民に分け与えたり、貸し与えたりして恩恵を施そう。それでもなお余りがあるなら、貯蔵しておくのではなく、市場に売却して流通させること。
- 今年は幸運にも災害を免れたからといって、近隣の困窮を見過ごしながら、普段通りの生活を送って節約もしないようでは、天罰を恐れるべきである。
- 豊作・凶作は年々変わる。自分の村が災害に見舞われたら、他村から助けを得て飢えをしのぐ。今回他村への協力を怠ったら、自分の村が災害に見舞われた時、他村も協力を怠るだろう。大凶作の年は、国々が互いに助け合わなければ存続できない。里正などが指揮を執り、村中で少しずつ財産を集め、飢餓に苦しむ村人たちに協力したり貸し与えたりしよう。朝晩の食事の食料すら不足しているなら、酒や餅や麺類などの費用は出せない。名主や組頭などの村役人は、検査を怠らず、代官とその役人に氏名を報告し提出する。)
⑵享保18年正月25日
(下民蜂起襲米商高間傳兵衛)
此ころ米乏しく。下民艱困することかぎりなし。これ米商高間傳兵衛といへるもの。多く府内の米をかひ置によれりとの流言をこり。二千人近くも黨をむすび。今夜傳兵衛が家を打こぼち。財寶をくだきて。前なる川へすて騒擾しければ。町奉屬吏等をはせて漸しづめたり。のちに擾乱せし魁首三人をとらへてつみせらる。
米不足で米価が高騰した際、庶民の間で米価高の原因は徳川吉宗に協力し、米価の安定に尽力していた米商人の高間伝兵衛が米を買い占め、米価をつり上げようとしているという噂が立った。
そして、享保18年正月に高間伝兵衛の自宅を1700人の庶民が襲い、家材道具や米俵等を川に投げ入れるなどした。これが江戸時代最初の打ちこわしとされている。
幕府は打ちこわしに関わった中心人物数人を流刑にした。
(米價騰貴賎民苦飢餓山陽西海尤甚)
米價いよ~湧貴して。賤民飢凍に及ぶこと少からず。よて府内の商工等にも米五萬苞(米俵)を散じて。男に二合。女に一合とさだめてにきはさる。
すべて山陽西海四國等にて。餓死するもの九十六萬九千九百人とぞ聞えし。
米価が騰貴して、賎民が飢餓や凍えに苦しんでいる。そこで、江戸市中の商工業者にも米5万俵を、男に二合、女にー合を与えることとする。
山陽・西海・四国等で96万9千9百人の餓死者がでたとある。
<続く>










<説明板>













